っていうか
数学をやらないかんのに、逃避して社会科をやってまうんじゃ。だって日本史おもしろいんだもん。仕方ないね。
合理化、自己正当化、言い訳がましさが僕を創ってきましたし、今も創っています。なぜ日本語には現在完了形がないのか(なぜ英語には現在完了形があるのか)?
明日は数学のテストらしい。怖いね、怖いね。
怖いねと話しかければ怖いねと 以下略。
短歌を途中でぶった切るなんて心ある人間の所業じゃないよ。
東急ハンズはハンズに改称するし、そもそもエコバッグの時代だね。とてもありふれた(それなりに幸福な)シーンを詠んだはずなのに、もうすでに隔世の感すら感じる。
(2022年11月24日現在)
まあいろいろとありますけど、とりあえず数学をやろうと思う。僕には他にやるべきことがないから。単純ってことは楽ってことで、楽なのはいいけど、でも自由ではないよね。面白くもないし。
大学、受かるといいね。いや受かるぞ。
さようなら
日記ニキ
サボり倒した日もある。悲しいかな。でも過去を悔やんでも仕方ないよね~。
『坂の上の雲』を読むと、この国の概形を作り上げた人たちの危害が伝わってくる。一人ひとりが国の前進に関わっているという意識を持って生きていたことがその原動力だろう。そしてそれは、現代のような複雑化した国家機構では二度と起こり得ない状態だと思う。でも私たちがそれを悲しむ必要はないのかもしれない。国民全員が国のことを考えなくても生活していける国が、彼らが目指した国家だと思うからだ。
ただ、国の舵取りをする立場の政治家や官僚が、私腹を肥やしたり、関係の深い団体に利益が回るような政治を行ったりするのは、当時この国を建て、護ってきた彼らに申し訳が立たないと思う。
評価こそ様々あれ、明治期を創っていった伊藤や山縣、黒田、西郷、大山、松方、桂に山本。もちろん秋山兄弟。
在野の側には大隈、板垣、漱石、子規、渋沢、等々。
それぞれがそれぞれの役割を演じた一流の役者のようだった。時代の渦の中を泳ぎきりこの国の筋道をつけた。
現代の我々は一体、彼らの描いた理想を、踏みつけにしないだけの行動ができているのだろうか。過去を、歴史を学ぶことは未来を創ることだと思う。
世界を、結局は一つの舞台だと思うなら、自分の役は何なのか。